【祝大学卒業!】劣等感、克服、受容
今回の卒業記念記事は2つあります。
①切り口無しのひたすら時系列を追ったver
②切り口あり(これ)
もし興味と暇があれば是非①も読んでみてもらえると嬉しいです
↓①の記事こちらです
はじめに
エンジニアという意味で、大学生活をまとめると「劣等感を克服し、受容できた4年間」だったなと思います。
毎年様々なイベントがあり、紆余曲折を経て今の自分に至っています。
そんな自分の大学生活を振り返れたらと思います。
劣等感
僕の劣等感の正体は努力というものに起因していると思います。
始まりは大学受験でした。
推薦入試の面接対策で将来像を聞かれた時、本当に何も思い付かず、自己分析なるものをやってみても何も出ず、自分の原体験の少なさに絶望しました。
原体験がなければ将来像に対して明確な回答が出せる訳もなく、その推薦入試はそのまま不合格でした(その後一般で合格して同じところに入ります)
では原体験がなぜ無いのかと問われたら、困難を乗り越えるような努力をしてきていないからだという結論になり、大学生活ではその劣等感を抱えながら、それを乗り越えるために過ごそうと決意を固めます。
余談ですが僕は『努力』が好きです。
それは自分が努力をすることが好きな訳ではなく、努力そのものが好きです。
何かに対して直向きに努力するというものは、今までの自分には成し得なかったことであり自分にとって手が届かないものなので、結果がどうであれ努力をするという姿勢が美しいなと思います。
劣等感の裏返しではありますが、自分に無いものだからこそ素晴らしいものだなと常々感じています。
克服
ではそんな劣等感を克服するにはどうしたらいいのでしょうか?
大学一年の時の僕は「とにかく何かを頑張るしかない」と確信していました。
というのも、時間や労力もろくにかけない状態で自分の中から勝手にやりたいことなんて見つからないし、そこでもし見つかったとしてもハリボテでしかないだろうと推薦の対策をしているときに考えていたからです。
現状やりたいことが特にない自分にとって、とにかく何かをやってみることが求められていることだと思い、そこまで崇高な目標があった訳でもなく高校生から始めていたプログラミングに取り組みます。
1年生の頃はほぼ全ての授業がオンラインで暇を持て余していたので、家で一人で黙々と勉強をしていた気がします。当時勉強していたことは、本当の本当に初歩の初歩だったけど、それが今の自分に繋がってはいると思います。
でもそれが楽しかったかというと全くそんなことはなくて、劣等感や将来に対する焦りがメインだったと思います。
多少ものづくりが楽しいという思いはあったのでそれらを含めて何とか続けることができたと思います。
そこから個人開発を始めて、ベンチャーで長期インターンを始めて、サマーインターンでも様々な企業に参加させてもらって、自分の技術力を少しずつ高めることができました。
最終的に、学生としてはまずまずな実力にはなれたかなと思います。
非エンジニアのコミュニティではエンジニアであることを自信を持ってアイデンティティとして捉えることができていますし、自分なりにスキルを持っていると自覚できる機会も増えてきました。
そのような意味でプログラミングというものは僕に劣等感を克服するきっかけをくれたものでした。
じゃあちゃんと努力をできたのか?という話なのですが、「最終的にできたと思えるようになった」というのが正直なところです。
3年生までは過去を振り返っても努力している感覚が正直ありませんでした。
これは「努力を努力だと思わずできる凄いやつ」みたいな意味ではなく、「たくさん時間をかけているから努力風になっているけど、実際これを努力と呼ぶのは烏滸がましいよなぁ」と過去の自分に対してずっと思っていました。
ただ4年生に入り内定者インターンとして様々なタスクをこなす中で、自分にとっても非常に難易度が高いタスクに対してどうにか取り組まなければなりませんでした。
そのタスクに立ち向かうために時間と労力を沢山かけながら頭を使って頑張ることができたなぁという実感があったので、大学生活で唯一「努力」したと自信を持って言える時間でした。
受容
そうやって曲がりなりにも頑張ってきたから劣等感を完全に克服できたのか?
そんな事はなく、むしろ深まった部分もありました。
自分の実力が少し付いてきたからこそ本当に実力のある人との差が分かるようになったり、熱量の違いをよりハッキリと実感できるようになったからです。
サマーインターンで有名な企業のインターンに参加すると、同年代の本当に優秀な人が集まっていて驚きます。
自分なりに実力を少しずつ付けてきたと思っていたのに全く歯が立たなかったり、会話についていけずに分かったふりをしたりといったこともありました。
その人達からは「君も優秀だから」みたいな事を言ってくれたりすることもあるのですが、どこを見たらそう言えるんだろうと思うような人達ばかりでとっても”刺激的”でした。
ただ、その差を明確に実感したものの、その現実を受け入れられるようにもなりました。
当たり前のことなんですが、何事にも上には上がいて、見上げればキリがありません。
しかし、その上の人たちとの差があることを理解して、その上で自分なりにできることを淡々と進めていこうという気持ちを持つことができています。
この気持ちは今の自分にとってとても大事なことだと思っていて、この気持ちを持つことで、腐ったり絶望したりせずに居られています。
決してこれはマイナスではありませんし、むしろプラスな要素だと思います。
受容は決して諦めではないし、前を向いて歩いて行くために必要なことです。
何者でも無い自分を受け入れてそれでも前に進める姿こそが、僕の好きで僕が目指す「努力」の形かもしれません。
おわりに
今回はエンジニアという切り口で書きましたが、学生生活全体で言えばとっても充実した4年間でした。
周りには「学生のままでいたい」「社会人になりたくない」と言っている人もいますが、少なくとも今の僕は社会人というものに対してポジティブな気持ちを持っていますし、頑張りたいなという気持ちが強いです。
それもこれも、本当に4年間色々な事をやり切れたからに他なりません。
本当に周りの人に恵まれた最高の大学生活でした。
後からこの記事を読んだ時に、かつての眩しさに目を焼かれないために、これからも永遠に輝き続けられるよう「努力」していきたいと思います。