【祝卒業】今日までのエンジニア人生を振り返る
今回の卒業記念記事は2つあります。
①切り口無しのひたすら時系列を追ったver(これ)
②切り口ありver
こっちは長いのでもし良かったら②の方から読んでもらえるといいと思います!
↓②の記事こちらです
僕はこの春、大学を卒業します。
大学4年までに様々なことがありました。
ですがこの気持ちや記憶もきっと忘れてしまうと思うので、今の内に書いておこうと思いました。
高校生から大学4年の今までのエンジニア人生を時系列順に追っていこうと思います。
高校生
そもそも僕がプログラミングというものに触れ始めたのは高校1年の時で、「将来スポーツ選手になるわけでも無いのにスポーツしてて良いのかな?」と思ったのが始まりでした。
将来のために何も行動していないことが何となく不安で、何か少しでもしようと思った時に出会ったのが”プログラミング”なるもの。
当時はちょうどマ○ブやイケ○ヤなどの「エンジニアになって年収1000万!場所や時間に縛られない自由な生活を手に入れよう!」と言う潮流がサーフィンできるくらいの勢いで、まんまとそれに乗っかってしまったのが僕でした。
その眩しすぎる光に目を焼かれ、目指すべき先が見えなくなった僕は、部活を辞め、Twitterやプログラミングに精を出し、所謂「意識高い系」街道をひた走る日々でした。
さっきからプログラミングとしきりに使っているものの、当時やっていたことといえばHTMLやCSSといった「そもそもプログラミングじゃねーじゃん!」といったものが主で、JSフレームワークなんてものはもってのほかでjQueryをギリギリコピペで訳も分からず使っているレベルのひどいものでした。
それでも周りの友達は褒めてくれましたし、なんかすごいことをやっている感があったので鼻高々だった気がします。
結果として1000万は稼げなかったですし、Twitterを頑張ってもそこまで恩恵はなかったですし、普通に大学受験を経て進学することになりました。
ただ、何も分からないなりにそこそこ真面目に勉強していたおかげで、(当時の自分にしては)そこそこの素養は身につけることができました。
プログラミングの学習効率的には最悪でしたが、このタイミングで基礎の勉強を終わらせて置けたのは後々振り返って大きかったなとも思うので、悪く無い寄り道だったかもしれません。
ここまでの内容だと、「意識高い系になったけど結果的にそこそこになったやつ」ですが、個人的には挫折もしています。
それは推薦入試です。
僕は今通っている大学に一般で入学しているのですが、その試験の前に実は推薦入試で受験しています。
一般で入学していると言うことからお察しだと思いますが、推薦はバチ落ちしまして、そこで「自分のやりたいことの無さ、自分の空っぽさ」と言うものを突きつけられた感覚になりました。
高校3年生の時の僕は将来やりたいことが本当に何も無く、「何となくホワイトそうな大手に入りたいなぁ。」みたいなことしか考えていなかったのですが、推薦入試の面接では「自分の将来像」に関する質問が多くなされます。
この質問に僕は一度たりとも納得して答えることが出来ませんでいた。
いくら過去を振り返っても自分のやりたい事やなりたい姿といったものは微塵もなく、何となくウケが良さそうなことを無理やり答えることしかできなかったせいで、深掘りされても何も出てこないといった事態になってしまう事を繰り返し順当に不合格。
「周りの学生よりもちょっと凄い事をやっている」と言う自負があった自分にとって、この失敗はかなりダメージが大きかったとともに深く心に刺さる出来事でした。
この経験から「これを根本から解決するためには何か自分の感情が動くような原体験を沢山する必要があったな」と言う気持ちになったので、プログラミングにより一層打ち込んだり、思い出を沢山作れる大学生活にしようと決めて大学に進学しました。
自分探しにインドに行く人もこんな気持ちなのかもしれませんね。
大学1年ごろ:基礎学習
最初の一年はほぼ全ての授業がオンラインで、有り体に言ってしまうとめちゃ暇でした。
授業もオンデマンドでいつでも倍速で見れましたし課題も重くなく、授業数がかなり多いにも関わらず快適な生活でした。
そんな悠々自適なおうち時間を活用して、受験で中断していたプログラミングの勉強を再開しました。
やっと「HTMLとCSSだけできてもしょうがないのでは…?」と気づき始めた僕は、なぜかkotlinに手を出して今までとの違いに挫折したり、jQueryとバニラJSの違いを理解できなかったりしながら「とりあえず何かを勉強する人」としての活動に従事し続けます。
そんな停滞の日々を過ごしていた10月のある日、事件が発生します。
大学の授業支援システムサーバーがダウンします。
詳細は上記のnoteを読んでいただきたいのですがざっくり経緯を説明すると以下の様な流れでした。
- 授業支援システムが使いにくかったので当時のB2の方(くりきんさん)が拡張機能を作って公開
- 授業支援システムに不満を持っていた学生がこぞってインストールしたが、学生が履修する全ての授業ページをスクレイピングする仕様によってサーバーに通常の10倍以上の負荷がかかりシステムダウン。一時使用不可に。
- 大学側が調査し、拡張機能を削除するように要請。
僕もこの拡張機能のユーザーだったので、この出来事はかなりの衝撃でした。
衝撃の一つ目は、「今まではお金儲けの道具としてしか考えられていなかった技術を、誰かの課題を解決することにも使えるのか」というもの。
衝撃の二つ目は、「課題を解決しようとした学生を大学側からこんなにあっさりと無碍にしてしまうのか」というもの。
この有志の勇姿を無駄にしてはいけないと感じて、もともとクローンしてあった拡張機能のリポジトリを拙いながらも改造し、より負荷が少ない形に修正したものを携えてくりきんさんに連絡を取りました。
(今振り返ってもかなり丁寧な長文を送っていて偉いなと思いました。)
ここで初めてエンジニアとの繋がりというものを得ることになります。
これはエンジニア人生の中でもかなり大きい転機で、一気に世界が広がった感覚がありました。
くりきんさんもそうですし、くりきんさんの紹介で多くの人と知り合い、エンジニアとしてのロードマップやロードマップの歩き方など様々なことを教わる中で一つ壁を越えられた感覚がありました。
そこからはVueの勉強や本格的な個人開発をはじめ、少しずつレベルアップしていきます。
ただこの頃(冬~春らへん?)はずっと焦っていて、「早くインターンに参加して実務経験を積まなきゃ」という思いを募らせていた記憶があります。
周りからは「そんなに焦らなくても良いんじゃない?まだ就活も一年以上先でしょ?」と言われていましたが、後から振り返るとこの焦りは正解だったと自負しています。長期インターンに対する意識を持つのがこれ以上遅かったら、就活本番の結果も今とは全然違ったものになっていたんじゃ無いかなと思っています。
大学2年ごろ:長期インターン
ちょうど2年生に入った頃、個人開発が一旦区切りがついたので長期インターンに満を持して申し込むことにしました。
おそらく10社ほど受け、3社くらいから合格をいただいて、その中から一番良さそうだったところに行ってみました。
正直未経験を採用してくれるようなベンチャーは職場ガチャが相当大きいのですが、僕の場合はとっても当たりでした。めちゃくちゃ良い人ばかりでしたし、年下の僕にも気さくに話しかけてくださって仕事も初めてなことばかりながら丁寧に教えてくださって、ここが最初でよかったなと強く思いました。
その会社の事業内容は受託開発がメイン(少なくとも当時は)で、VueとLaravelでのWebアプリ開発を経験させてもらいました。
ここでGitやbacklogをはじめとした開発の基礎を学ぶことができ、エンジニアとしてまた一歩あゆみを進めることができた感触がありました。
合計で10ヶ月ほど働かせていただいたのですが、正直自分の目的意識の低さや技術への深い興味がまだ持てておらず、劇的な成長をすることが出来なかったのが個人的に後悔ポイントです。
それでも学びはとっても多かったですし、何よりエンジニアとしてキャリアを進めることを決められたのがよかったです。技術が死ぬほど大好きだったわけでは無いですが、機能を実装した時の喜びはとても大きかったですし、隣に座っているエンジニアのために良いコードを書きたいと思えたのが個人的に大きかったです。
大学3年ごろ:就活
2年生の終わり頃から本格的に就活に参戦し、少しずつイベントや情報収集へと勤しむことになります。
周りと比べて技術力に秀でているわけでは全くないというのが自己評価だったので、せめて就活は早くから始めようと思って早めにスタートを切りました。
(実際は就活の情報収集をしていたら「焼肉タダで食べられるイベントやります!」という言葉に釣られたから参加し始めたという側面が少なく無いです。ちょっと見栄張りました。ただ、その焼肉イベントで同卓だった人とこれから同期として働くので世界は狭いなと思っています。)
これは「長期インターンやっててよかった話」なんですが、僕がメインで利用させてもらっていたサポーターズさんでは学生と企業が1対1で面談をすることができる「1on1イベント」なるものを実施しているのですが、これはなんと参加するための選考があります。少人数で行われる関係でそうなってしまっているのですが、周りの話を聞くと実務経験の有無で合格率が雲泥の差だということがわかりました。
特に「半年以上かどうか」が割とボーダーな気がしていて、ギリギリそのボーダーをクリアしていたのでとてもラッキーでした。
就活を始める前から勝負は始まっていたんですね。
そんなラッキーボーイとして就活をはじめ、合格を頂けた何社かに参加してみました。ちなみに合格率は35%でした。厳しい世界です…
正直なんで合格を頂けたのか分からないものも多かったのですが、今考えるとプログラミングスキル以外の部分で評価してもらえたのかなと思っています。明らかに就活イベントで出会う学生は僕よりも遥かにプログラミングに精通している人たちばかりで圧倒されましたが、僕は僕でコミュニケーションや考え方を平均以上に評価してもらえたんじゃ無いかなと思っています。
実際に行ったインターン先ではやはり圧倒的に技術力が高い人達ばかりでしたが、その人たちに刺激を受けて成長することが出来た実感もありました。
特にCARTA HOLDINGSさんが行なっているTreasureというインターンでは2週間泊まり込みで開発を行うので学生間、学生-社員間でかなり濃いコミュニケーションを取ってお互いに話すことが出来たので、キャリアの面でも人生全体でも学びが本当に多かったです。マジでおすすめです(この記事はPRを含んでいません)。
インターンが終わってもやり取りが続いている人も居るくらい、この時期は本当に楽しかったです。
あと書きそびれていたんですが、7月にインターン経由で初内定をいただきました。インターンが終わった後にそのまま最終面接が受けられるとのことだったので受けてみたら何と合格。正直なところ、嬉しい反面呆気ない内定にふわふわした気分でした。結果的にその企業は辞退させていただくことになったのですが非常に魅力的な会社だったので、それ以降の就活は焦りというものを全く感じず進めることが出来ました。この時にやりたい事やなりたい姿はまだまだ固めきれていなかったものの、それを考える時間を作ることが出来ました。
サマーインターンの時期が終わり、一区切りついた9月ごろにふと11月以降の予定が何も決まっていない事に気づきました。本選考を受けてもよかったんですが、もう少し色んな企業を見てみてもいいな〜と思ったので、魔法のスプレッドシートをのぞいていたら「LayerX」という文字が目に入ってきて、受ける事にしてみました。実は前述した1on1イベントで面談させていただいていたんですが、社員の方が高圧的(に感じた)だったので選考は受けずにいました。ただ、技術力の高さや羅針盤の凄まじさを感じたので受けてみる事にしました。(ちなみに後から社員の方には「あの時は少ない人数で何とか回しながら学生の方をちゃんと見なきゃいけなかったからそうなっちゃってただけで全然高圧的にしたいとかじゃなかったんだよ〜」と弁明をいただきました。)
書類と人事面接は難なく通り、技術課題が課されました。当時の課題は2週間でコンポーネントを実装してコードを提出する形だったので、「技術力に全く自信がない自分は2週間フルベットするくらいの気持ちで挑まなければいけない」と思って本気でやりました。
結果的に、採点していただいた社員の方から「中途採用レベルのできだと思います」と評価を頂いたのですが、自分の実際の実力以上のものを提出していた感覚はあったし、本来は2週間かけるべきタスクではないので、嬉しさ半分といった心境でした。
その後の技術面接は技術課題を元にしたものだったので流れるように通過し、インターンに参加できる事になりました。
自分に適した課題をプラスめに評価してもらえたおかげで運良く掴み取れたものだったなと今でも強く思います。もう一回やったら絶対受からないです。マジで。
いざインターンが始まると、今まで思っていた印象とは違って「技術力と人間力を兼ね備えたすごい人たちの集まる場所」だな〜と強く実感しました。
チームの方々も本当にいい人で、びっくりするくらい仕事ができない僕に対して「いつも助かってます」「心強いです」と声をかけてくださったり、タスク関係ない場でも気さくに話してくださったりして、とても嬉しかったことを覚えています。本当に僕のことを考えてくださっているんだなというのがインターン中でずっと伝わってきていたので、充実した日々でした。
そんな中で、この人たちと一緒に働けば毎日楽しいだろうし、この人たちと一緒に働けばもっと成長できると強く思う様になり、結果としてインターンが終わる頃には第一志望になっていました。
この会社の選考制度は特殊で、長期インターンの選考と本選考を兼ねており、就業1ヶ月後に最終面接に進むことができるかのジャッジが入る。最後の面談でメンターの方から「技術力はまだまだ伸び代があるけど、うちの会社で活躍できると僕は思っているからそのように伝えておくね」と言うありがたい言葉をいただいて、そのまま最終面接に進むことができました。
最終面接はCTOとCPOとの連続1対1の面接で、それを伝えられてから面接当日までそれ以外何も考えられなかったくらいド緊張の毎日でした。
当日は正直あんまり覚えていないんですが、CPOからの技術的な質問に全然ちゃんと答えられなくて絶望した記憶と、CTOとの面接で画面に映る自分の顔が信じられないくらい酷かったことだけは覚えています。
それから2日間毎分gmailの通知を確認しながら過ごしていると「選考結果のご連絡」と言うメールが。開けてみると無事合格。他社の結果連絡でもかなり心臓に悪かったんですが、第一志望なだけあってより一層生きた心地がしない2日間でした。
大学4年ごろ:内定者インターン
合格を頂いた翌月から内定者としてインターンに復帰することになりました。
その時から周りのレベルの高さに圧倒されていたので、せめて少しでも追いつけるようにならなければという思いで再び働きはじめました。
半年ほど働いていたのですが、今までやったことの無いような不確実性の高い(相対的に)タスクに取り組ませてもらったり、カンファレンスに参加したり、スポンサーセッションを任せてもらったりとインターンとは思えないほど様々な経験をさせてもらいました。
正直インターン生にカンファレンスのスポンサーセッションを任せる会社っておかしい(褒め言葉)と思うんですが、そんな何でも挑戦させてくれる会社を選べて良かったなと思いましたし、日々働く中でもそうやって思える要素が本当に多くて幸せな半年間でした。
また学びも沢山あって、以前記事にもまとめたようにタスクをこなすとは一体どういうことなのかを少し理解することが出来ましたし、働く視点が少し変わったような感覚があります。
これから入社するのも楽しみです。
終わりに
特に大した切り口も無いままつらつらと今までのエンジニア人生を振り返ってみました。
こうして振り返ってみると、やはり自分は要領がいいタイプではないなということを強く実感させられます。
周りのエンジニアの学生を見てみても、自分より短時間で圧倒的な技術力を持っている人が沢山いますし、実際働いてみても出来ないことを数え始めたらキリがありません。
僕は今までの人生で「要領がいいね」と言ってもらえる瞬間が、ありがたいことに沢山ありました。
ただ、この4年間を通してそれは非常に簡単なタスクを高速でこなすことが得意だっただけなんだなと気付かされました。
4年生の内定者インターンでそれが特に顕著で、本当に分からないことや出来ないことばかりすぎて要領が悪いなととことん自覚させられました。
少し複雑性が上がったり不確実性が上がった時にすぐに使い物にならなくなる自分はお世辞にも要領がいい人間とは言えません。
ただ、自分が要領が悪いと思えている時は自分が成長できる場所でもあるのではないかとも思いました。
それはおそらくコンフォートゾーンを抜けていることの証左だと思いますし、それは将来の自分にとって望ましい状態なのでは無いでしょうか。
いつまでも要領が悪いと自認しながら成長を続けていける社会人生活を送りたいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
著者名
やた
公開日
2025/03/18
更新日
2025/03/31
文字数
約7579字
カテゴリ
その他